2013年9月28日土曜日

サマンサ


まちゃくんは平成68月に腹痛で入院した5歳の男の子。超音波検査でおなかの中にいっぱいの腫瘍ができていて、腫瘍細胞が胸やおなかにいっぱい散らばっていました。細胞をとって検査したところ、悪性リンパ腫と診断され、すぐに抗がん剤の点滴が始まりました。最初は状態が悪く、ICUで集中治療を受けていました。この時の主治医O先生が付きっ切りで、まちゃくんを治療してくれました。抗がん剤の効果が出てきて、まちゃくんのおなかの腫瘤は消えましたが、数ヶ月後に今度は腫瘍マーカーという検査が異常になり、再発しました。まちゃくんの治療はより強いものになり、頭がツルツルになりました。このころにO先生が他の科に勉強に行くため主治医が僕に変わりました。まちゃくんはもともと髪がフサフサしていたはずですが、僕にはまちゃくんといえばツルツル頭のイメージしかありません。彼はとてもよい子で聞き分けの良い子でした。でも僕はまちゃくんに点滴を刺したり、痛い検査もいっぱいしました。治療のため、まちゃくんが元気になって退院できるように、時には叱ったりもしました。叱った後には一緒に遊びました。本気になって遊ぶと当時20代の僕でもしんどかったのを昨日のように思い出します。

まちゃくんは見た目は元気で本当に病気なのかと思うほどですが、検査をするとかなり悪いのがわかります。元気なまちゃくんに抗がん剤を点滴して副作用で吐いたり、熱が出たりさせるのが本当に治療なのだろうかと思うこともありました。時にはバイ菌が全身にまわり、死にそうになったこともありました。お母さんはこんな時はとても心配そうで、もちろん僕も心配ですが、僕が不安そうにしていたら、お母さんは更に不安になるでしょうから、顔に出ないように気を付けないといけません。お父さんは面白い人で、心配するどころか横で新聞を大きく広げて、熱中していました。正月にはまちゃくんから年賀状が届き、「ちゅうしゃをしっぱいしないでね。」とありました。その後は自分では点滴の成功率が上がったように思います。僕は次の年度から、血液腫瘍疾患のより進んだ治療を勉強するため、徳島大学小児科にお世話になることになっていました。まちゃくんと御両親は僕と一緒に徳島に移ると言ってくれました。僕はうれしいような気持ちと申し訳ない気持ちがありましたが、一緒に行くことになりました。

平成8410日にまちゃくんは徳島大学小児科に転院しました。治療の間には一緒に公園に行ったり、花見に行ったりしました。まちゃくんは大はしゃぎでどこが病気なのだろうと思うほどでした。病院の近くにサマンサという喫茶店があり、2人で行ったこともあります。平成810月に移植に向けて強い治療が始まりました。そして1023日に移植しました。まちゃくんはそのうち高い熱が出るようになり、1030日には熱のため変なことを言い始め、呼吸がおかしくなり、人工呼吸を始めました。血圧も下がり、多くの薬を使いました。意識のないまちゃくんは足を動かす程度で、実はこの時からほぼ絶望の状態だったのですが、僕はあきらめることができず、何日も病院に泊りました。

元の病院にこの状態を連絡すると、多くの先輩や看護師さんがお見舞いに来てくれ、多くの人が励ましてくれました。徳島は風が強く、そして星がきれいなところでした。僕は時々大学病院の庭に出て夜空を見ながら不安と絶望そして仲間の大切さを思い何度も涙を流しました。そしてよく乾かしてから病室に戻りました。お母さんと、しゃべらないまちゃくんとも多く会話しました。そのうち薬の反応が低下して尿も出なくなりました。お父さんがこう言ってくれました。「人間は誰でも死を経験するのです。それが早いか遅いかの違いです。簡単に言うと目的地に行くのにこの子だけ先に電車で行って、みんなは車で行くというそれだけの違いです。」

今ならもう少し良い薬、治療があるので、きっと助かっているでしょう。生きていれば、成人している年齢です。自分が目的地に着いた時、また会えるのか、そして彼は覚えてくれているでしょうか。喫茶店サマンサでのまちゃくんを、昨日の出来事のように思い出します。